釈迦健康法は脳幹を鍛える事だった!


 生物の姿勢は、この地上に存在する限り、重力甲方向に応じた直立の姿勢が最も素直な
形です。謡曲の能は、人類の印象である立ち姿の美を目標のひとつに置き、世界の国々を
みても例外なく直立に正の意味が込められています。平衡の取れた一つの瞬間に、人の心
は無意識に引き寄せられるのでしょう。即ち、世界の人々の共通感性によって直感的に感
じ取られる真理と言えます。つまり常識です。世間的日常性の公理についての分別的知識
ではなく、人々の実践的共通感覚です。公理というのはギリシャ語でアキシオームと言い、
人々が共通に真または美と判断する物という意味です。つまり真・実は真理であり、言わ
ずもがな公理なのだということです。
 そこでこれに神戸の児童連続殺人犯のA少年は更生できるのか?という問題を当てはめ
てみると、登校拒否・家庭内暴力も同じベクトルであるのは言うまでもありませんが、登
校拒否専門の各自由学校でもカウンセラーによっても、彼らが治ったという事実は聞きま
せん。それは当然の事で、脳生理学と発生学からの脳の発達史を、西洋科学・哲学を中心
に思考し、アジアの一員でありながら実践科学哲学である儒教・仏教を無視した事に起因
していると言って過言ではありません。
 西洋哲学が始めにロゴス(理性)ありきで始まるのは、理性(新皮質)優位のドグマと
言えましょう。儒教では、本(本能・脳幹)を正す、仏教では浬築寂静と言い、下意識
(DNA・脳幹)が強く安定すると、上位の大脳辺縁系(本能)も安定し、より上位の新皮
質(理性)に洗練された正しい情報が行き、精神が強く優しく安定する事を言います。
つまり、新皮質の混乱だけなら諭せば治るはずです。しかし、下意識はサバイバル脳で理
性ではないので、口でいくら諭しても無駄なのです。下意識はバカな脳ですが、極めて大
切な脳であり、10才ぐらい迄にはほぼ完成し、上下の永久歯が生え揃う15〜16才までまだ
望みがあると言えます。
 これはまた、人の一軸性の直立姿勢と相関しています。儒学者の苟子は「人の性は悪、
その善なるは偽なり」と言っており、この意味は子どもは動物であり、何事も体で覚える
事(体罰)によって子どもの情動(脳幹・本能)を直していく事が善と言えます。天性が
悪(情動が全方位に強い様)、本徳の人為が善(真・美という公理)で無けれぱ全方位の
情動を安定した方向へ導いてやることができないという事です。が、このとき暴力と体罰
が根本的に違う事を認識していなければなりません。暴力とは振るった者の利益であり、
体罰は受けた者の利益なのです。儒教を勉強し、仏教を興された釈尊は、全て格物致知さ
れていました。
「肉体は精神が望む事を実現しようとする」
−仏人クエの法則より−